2003年1月20日

リサイタルの反省、マスター・クラス。

リサイタルの反省。まず今期前半から何回か吹いていたティチューブ、シミュレーションは、年末以降全く手をつけることが出来なかったが、クオリティとしては悪くなかったと思う。後記の3曲の譜読みで手間取ることがあらかじめ予想され、意識的に前もってブラッシュ・アップできたことは、2、3ヶ月というスパンで練習と本番のペースを作っていく、という目的からすれば上手くいった。とはいえ、レパートリーとしていつでもどこでもすぐ吹ける、という状態にはまだいくつもやらなければならないことがあるだろう。細かい音符の正確性、といった問題に関しては、これは寧ろ曲の練習というよりも、基礎的演奏能力の範疇に入る問題だろう。
 散々悩まされたヴォワ・キャプティヴについては、結局十分満足できる出来ではなかったけれど、ここで無理してでも本番をやると決心して実行しておかなければ結局後々まで譜読みで止まっていたように思う。結果的に最後の二週間で7割方の譜読みをしたわけだが、そういった切羽詰った状況を作ることでなんとか形に出来た(後ろ向きだなぁ)。もちろん、その前に長い時間をかけて3割を消化したことが最後のラスト・スパートを可能にしたわけだけれど、この曲は引き続きブラッシュ・アップして次の機会を作りたいと思う。同じようにツェルシ、鈴木純明の曲ももっと突っ込んだ演奏ができるはずだ。
 全体的にはトリオ以外の4曲が全てテューバ一本(セルパン一本)のソロ、というプログラムで、ペース配分を気にしすぎていたきらいがある。もう一点は曲ごとの配置など事前の事務的な準備で、これは(例えば)普通のヴァイオリンとピアノの演奏会に比べるとややこしい分、本番直前にアクシデントが発生しやすい(特にフランスでは)。そういった直前のアクシデントにも柔軟に対応できる体力、精神力、レパートリーの柔軟性は今後も必要だろう。
 今回やりたかったことはテューバ一本で現代音楽、という(ごく控えめに言って)見慣れない、面白くなさそーな演奏会で、どれだけ飽きずに聴いてもらえるか、楽しんでもらえるか、ということだったのだが、取り敢えず「面白そうな」演奏会にはなったと思う。ただそこで吹かれている演奏に関してはもっともっとやらなければならないことがあるし、プログラム自体ももうヴァリエーションを増やして柔軟性がなければならないだろう。

 ここまでの上半期はこのリサイタルを一番のポイントとして、そこに向けてどのように練習のペースを作っていくか、ということが大きな課題だった。3ヶ月間でソロの曲を10曲あまり、9回の本番をこなしたわけだけれど、これは僕の人生の中では相当のハイペースになる。この中で得たもの、失ったものが何だったのか?
 まずは得たもの。少なくない本番(ピアノの人に比べれば遥かに少ないわけだけれど)を短期間にこなす機会を得られたことは非常に貴重な経験だった。具体的に上手くは言えないけれど、本番に対するテンションのもっていきかた、本番でのメンタルな部分でのコントロールに関しては、3ヶ月前に比べて大きく違うものがあると思う。逆に失ったもの(っていう程たいした持ち合わせがあったわけじゃないんだけれど)はやはり基礎的な能力だろうと思う。都合3ヶ月間、ウォームアップすらしない生活だったので、一つ一つのテクニックを取ってみるとやはり相当に荒れていると思う。他の楽器にも共通点はあると思うけれど、管楽器においては一口に基礎練習といっても基礎能力を「維持」する目的のもの(ピアノの調律に当たるもの)とその能力を「向上」させる目的のもの(ピアノで言えばハノンのようなもの)があり、特に金管楽器では「維持」する目的の練習のウェイトが他の楽器に比べて高いと思う。今回のようなスケジュールではなかなか十全には出来ないわけで、それはそれとして時間の余裕があるときには努めて基礎練習をすること。特に「向上」させる目的の基礎練習が進めば進むだけ譜読みにおけるテクニック上の問題が軽減するわけで、この辺りのペース配分をよく考える事は非常に重要なはず。

 リサイタルを終えた翌週、ハンス・ニッケルのマスター・クラスがあった。僕はリサイタルで果てていたのでほとんど聞きにまわっていたんだけれど、非常に良い授業だった。オーケストラ・スタディで彼が吹いた例はどれもとても素晴らしかったけれど、個人的に凄く感銘したのが一つ一つの音に対して非常に誠実であること。その音符がスラーなのか、スタッカートなのか、そしてそれらがきちんとスラーとして、スタッカートとして聴こえているのか、といった事に細心の注意を払うスタンスを持ち続けることはなかなか容易ではない。細かい点で自分にノオを言い続けるのは非常に忍耐のいる作業だ。しかしそういった困難を乗り越えて音楽に対峙する誠実さが彼の演奏にはあってとても良かった。

2003年1月19日

リサイタル(~1月9日)

 バタバタと日本から帰ってきたのが12月10日。次の一山は1月9日の学校でのリサイタル。今回の曲はマレシュのティチューブ、松平のシミュレーションに加えて、友人の作曲家鈴木純明の新作、ツェルシのマクノンガン、長年の難物であったビュッケのヴォワ・キャプティヴ。前回から引き続きの2曲は問題ないとして(ある)、譜読みを3曲同時、しかも冬のヴァカンスのため本番3日前までの二週間、ちゃんとした場所で練習が出来ない、というのはコンディションとしてかなり不安。まあプログラムを決めたのは自分なので、自業自得といえばそれまでなんだけれど。
 帰ってきた直後からオケの練習。ほっとする(前回の日記参照)。プログラムは運命の力序曲とリストのレ・プレリュード、展覧会の絵。持ち替えはチンバッソとC管だけなんだけれど、学校のC管用のミュートが紛失していて、展覧会の中で4つの音のためだけにミュートを楽器ごとF管と持ち替え。こういうのって消耗だよな。練習までは滞りなく上手くいっていたのだが、本番で予想外のアクシデント(僕の人生では循環主題的だけれど)。チンバッソとC管の持ち替えのため一旦袖から出て楽器を変えに行っている最中に次の曲が始まってしまう。レジ(ステマネ)も半狂乱で罵倒するし、大体ちゃんとチェックしない指揮者が悪いと思うんだけれど、しょうがないから知らん顔してステージに入っていく。幸い始めの5分くらいはタセットだったので落とした音は一つもなかったが、意味なく罵倒されて機嫌が悪いのといきなりの持ち替えでかなり調子が悪かった。その後も引きずって後味が悪かった。こういう状態でもきっちり出来るのがプロフェッショナルなので、こちらが反省することも多々あるんだけれど。それにしてもなぁ、ぶつぶつ。

 そんなこんなで本番を終えて再びリサイタルの準備へ。きちんとした練習室できちんと音が出せて練習できるのは都合10日間くらいなので、引き続き譜読みのみのメニュー。基礎もそろそろやらないとまずいのだが、このままの勢いでなんとか乗り切ってしまうことにする。この日誌で度々登場しているヴォワ・キャプティヴは結局のところ全体の3割くらいしか仕上がっていない。譜読みを完了してそれからテープとのシンクロ(合わせ)をしなければならないのでかなり不安。新曲もまだ全部は仕上がっていないので全体的な見通しが上手くつかない。焦るままに学校が閉まる。

 とはいえ閉まってしまったものはしょうがないので、出来ることを出来る場所で出来るだけやることに集中する。自宅ではセルパンはそのまま、テューバはミュートである程度の時間練習が出来る(文句が来なければの話だけれど)ので、実際に音を出す以外の時間をどうやって練習になるべく直結するかが課題となる。
 今回随分助けになったのはパソコンだった。まずツェルシはセルパンで移調して吹くことになっていたので、フィナーレで移調楽譜をつくり、同時に細かいリズム分割をして部分部分を把握しやすくする。読むことと同時に MIDIで出力して聴いて覚えていく。はっきり言ってセルパンは音程的には楽器が何もしてくれないので、きちんとした音程を覚えることが不可欠となる。
 新曲も楽譜と同時にMIDIで送って貰ってアナリーゼを行う。今回の編成はサックス、テューバ、オンド・マルトノのトリオなので、どこをどう仕掛ければ最短距離で合わせが出来るのかを楽譜と照らし合わせてチェックしていく。ヴォワ・キャプティヴは時間がないので音源をパソコンに入れてテンポを落とし、合わせと譜読みを同時進行で行いながらテンポをじわじわと上げていく。全ての曲において難しい部分のフィンガリングのみの練習。取りにくい音程のイメージ。以上のことを2週間繰り返して行った。何とか見通しが立ったのは本番の10日くらい前だった。そこから後はリサイタル全体を通して頭の中で構成していくことも加えていく。
 本番3日前に学校が再び開く。本当に恒例行事だけれど、コンサートに関する事務手続きが一切上手く行っていないことを知らされる。(教訓:学校の事務と東スポの見出しは決して信用しない。決して。)生で楽器を吹いて調子を戻しながら事務手続きの再確認。あっという間に本番の日。
 ジェネラルが一時間半しかない上にやらなければいけないことが山のようにある。ステマネが手配されいない上に舞台のセッティングが頻繁に変わるので、その段取りを決めながらトリオの合わせをやって、録音用のチェックをしながらテープ用のスピーカーの設置とバランス、というほんとに地獄のような有様だった。本番ギリギリまでリハーサルをしたんだけれど、残念ながらエレクトロアコースティックのいくつかの事は上手く行かなかった。
 本番ではもうへとへとで何にも考える力がなかったんだけれど、逆にそれが幸いしたのか、メンタル的には今までにない落ち着いた状態で全体を作っていくことができたと思う。もちろんアクシデントもたくさんあったけれども、いくつかの曲の幾つかの部分は今までで一番上手く出来た。

長くなってきたので、反省は次回の日誌に。

2003年1月18日

現代音楽演奏コンクール(~12月8日)

引き続き次の目標は東京の日本現代音楽演奏コンクール。その前に学校の教育学のクラスでテアトラルな曲の模範演奏を頼まれる。カーゲルとルボティエのいくつかの曲を演奏。カーゲルは随分間が空いていて、暗譜がこなれていなかったのが災いして不満足な出来。コンクールに向けてかなり修正を迫られる。
 コンクールは一次、二次、本選で三曲。マレシュのティチューブ(使いまわし)、カーゲルのミルム(使いまわし)、松平頼暁のシミュレーション。二次と本選の間が空いていてそこにノーノの本番が入っているので、結果次第では二往復することに。合間に滞在許可証の更新(疲労困憊する恒例行事)。東京滞在中の練習場所確保と楽器(タムタム)の手配。練習以外の事が非常に多いので、アップや基礎練習は当分諦め、とりあえず差し迫った二次のミルムの練習に費やすことにする。本番では一次のティチューブがホールの響きに慣れるのに時間がかかってなかなかノッた状態が作れなかったのが反省点。一方カーゲルは逆にその響きに助けられてか、今までの中では一番納得が出来る出来だったと思う。どちらにしても、曲を始める同時に(若しくはそれ以前に)会場を曲の雰囲気に持っていく、そういったメンタルな作業はこれからも追及すべき課題だと思う。
一回目の滞在で非常に有意義だったのは、JMLで特殊奏法のレクチャーが出来たこと。今回本当に無理を言って機会を作っていただいたのだが、色々な作曲家の方と話してプレゼンテーションすることが出来たのは僕にとってとても嬉しい出来事だった。同じく、空き日にトランペットの曾我部さんの演奏会に飛び入りで参加させていただけたこともとても楽しかった(皆様、本当に有難うございました)。

 本選に通過したため、二次の翌日に急いで帰国、次の便の予約。帰ったと同時にノーノの仕事がキャンセルになったとのメールが届く。脱力。脱力。脱力。帰ってきたものはしょうがないので、本選のシミュレーションの仕上げに集中する。「シミュレーション」は非常にテアトリカルな曲なので、演奏以外の所作に気を配る。同時にそれらの諸動作が観客に観えないと意味がないので、楽譜が見えてなおかつ動作の邪魔にならないよう、グランドピアノの譜面台と椅子で低めの譜面台をセッティング。暗譜をするという方法もあるのだが、この曲はある意味設計図的な譜面を見てそれをシミュレートしていく過程が大事だと個人的に思う。
 二回目の往復。今回は次の仕事との関係で3日間の滞在(次の仕事がキャンセルになりませんように)。着いたその日に打楽器を選択、翌日の練習場所の確保。本番当日は午前中貸スタジオで練習してホールに移動(楽器、ミュート2つ、タムタムを持って山手線に乗ったんだけれど、後で色んな人に無謀と諭された)。セッティング、演奏。あまりにハードなスケジュールだったせいか、本番後にどっと疲れる。スケジュールからみれば出来はまあまあだっと思うけれど、細かいディティールはもう少しゆっくり練る必要がある。今回の準備の中でなかなか良かったのは、ホテルなどで楽器を吹けない状態でも曲名通り曲を「シミュレート」することで、全体の流れを常に頭の中にストックするコツがわかったような気がすること。曲が上手く進行している場合は、まず今演奏している場所をどう吹くのか、という集中力の方向と同時にもう少し先の部分への準備を行う集中力、さらに全体像で自分がどのポイントにいるのか、といった3つの大まかな気の配り方がある(極めて個人的な印象なので、一般論ではないと思う)。全体像に関しては寧ろ楽器を離れて譜面を見ながら(或いは譜面なしで)練習したほうが上手くつかめると思うのだけれど、今回は曲のスタイルも手伝ってか、練習の配分が上手くいった。もちろんイメージトレーニングは、曲の細部でもとても大事なのだけれど。
 結果は二位を頂いて、こちらも一安心(交通費的にも)。それよりもこのコンクールで色んな方々と知り合えて、演奏を聴くことが出来たのが収穫。随分と刺激になった。もう一つの収穫はソフトケース。前に使っていたのがかなりがたが来ていたのだが、「ここがもうちょっとこうだったらいいのにな」という部分でなかなか良いのが見つからなかった。今回グローバルで購入したソフトケースはまさにその辺りのツボが見事に押さえられていて、大満足(もちろん、個人的に、と言う事だけれど)。ソフトケースをお探しの方、オススメです。
 さて、これで一段落着いて次は上半期総決算のリサイタル。大混乱の予感。

2003年1月17日

avant-scenes(~11月9日)

本当にお久しぶりです(って日誌に書くのはなんだか不思議な気がするけれど)。前回の日誌からは3ヶ月近く経ってしまったけれど、別にだらだらしていた訳ではなくて、あまりにやる事が多すぎて日誌まで手が回らなかった。ようやくまとまった時間ができたので、まとまった事を書いて、まとまった事を考えなければならない。取り敢えずは消息を絶った10月終わり辺りからクロノジカルに。

avant -scènesというのは、通っている学校の第三課程器楽科のコンクールで、優勝すると学校オケとコンチェルトができる、というもの。一次が一曲、二次が二日に渡って三曲、二次からは公開のコンサート形式になるもの。僕が吹いたのはマレシュのティチューブ、プロッグの3つの小品、ヴォーン・ウィリアムズのコンチェルト、マドセンのソナタ(いくつかの曲はこのシーズンに長い付き合いになる)。今回の曲は全て譜読みが完了しているので、内容的にもう少し突っ込んでいくのが目標。違う楽器が混ざり合ったコンクール(バトルロワイヤル)でのテューバというのは、マイナー楽器であるということが長所あり同時に短所でもある。つまり、「テューバって要するにド、ソ、ド、ソってやってる楽器でしょ?」と思っている方々(正論だ)にはソロを吹くという事実だけで結構ビックリするらしいし、逆に演奏を聴いて「結局テューバってド、ソ、ド、ソってやってる楽器だよね。」という結論に至ることだってある(正論だ)。今回はこういうのを取っ払ったところまで演奏レヴェルを引っ張りあげれればいいな、ということが一つ目の目標。それぞれの曲の持ち味をきちんと出す事を心がける。もう一つの目標(というより寧ろ目的)は、本番をこなす事によって今後に控えている同プログラムの本番の道標を作っておくこと。どこがどうとはいえないけれど、本番を潜り抜けて初めて得られるステップというものもある。練習ではどうやっても上手く出来なかった(音楽的な、あるいはテクニック的な)箇所が本番で何回も使うことによって自然に出来るようになった、という経験は結構みんなあることなんじゃないだろうか?
 練習は比較的通して行うことが多かった。プロッグのみ、テクニカルな面が多いのと、前回の本番から少し時間が経っていることもあって例のごとく半分のテンポからの練習。他の曲はピアノとの合わせで(久しぶりだ)曲の要所要所の仕掛けを作っていく。
 本番は自分としてはまずまずの合格点。不思議なことに一番懸念していた曲が一番上手くいって、安心していた曲でなかなか苦労したように思う。評を聞いても大体自分の印象と一致していた。結果は審査員一致の一位を頂けて一安心。3月にコンチェルトを吹くことになる。しかし審査員全員から聞かれたのが「あなたの使っている楽器は結構年代物なのか?」という質問だった。単純にノーラッカーで磨いてもいないので凄く汚いだけだったんだけど。
 本番の翌日同じ曲で小さな演奏会。こちらは気が抜けてしまったのか心残りな演奏になってしまった。メンタル面でもう少しタフにならなければ。

 今回の本番が近くなったある日恩師の訃報に接する。こちらに来る直接のきっかけになった人だった。あまりの急な知らせに自分がこの出来事にどう接すればよいのか、実感が湧かない。悲しい。言うまでもなく。しかしこの事を現実的に現実として受け入れるようになるにはまだ時間がかかるのだろうと思う(この日誌を書いている今現在も自分の言葉として何か表すことはまだ出来そうにない)。
彼の言葉。
「いいかい、人生は決して音楽だけじゃない。色々な出来事が起こる。それぞれを一生懸命やるんだ。展覧会に行ったら絵を100パーセント観る。女の子にふられた時は100パーセント悲しみなさい。それと同じように、音楽をやるときは本当に100パーセントでやるんだ。本当に。」