2004年2月29日

出発前から時差ぼけ。

 結局基礎練習を元のペースに戻す事は相成らなかったまま、日本へ出発。最後の何日間かは、曲の練習よりは寧ろ基礎練習のほうに重きを置いてみたのだけれど(曲に関しては最後の数日で劇的にどうにかなるものでもない)、なんだかやりながら「?」の連続であまり落ち着かなかった。タイトルにあるように何故だか深夜になると眠れない日々が続いて、パリにいながら日本時間で行動できそうな有様。到着時に時差ぼけは無くてよかったんだけれど、練習のプランニングにはあまりよい影響ではなかったようだ。
 というわけで、2月の月間反省を行わなければならないわけだけれど、後半が「計画的」とは程遠いグダグダな行き当たりばったりになってしまったことは猛省。今回得たのは「こんな感じでやってたら全然ダメっすよ」という、お子様でも考えればすぐわかるようななんともお寒い事になってしまった。というわけで来週は日本。3月の練習内容についてはその後で。体制をきちんと立て直す事。

2004年2月22日

風邪

 そんなに酷くはならなかったのだけれど、えらく長引いたおかげでまともに練習が出来なかった。
2月第2週と第3週は用事に出かけては悪化し、直しては出かけるを繰り返し、気がついたら月も後半になっている始末。レッスンのネタづくりもあって、基礎的なことはあまり踏み込んで出来なかった。
 風邪の合間を縫ってやったことは
1.アラベスクの練習。楽譜の中から装飾音符、ダブルタンギング、重音など要素ごとに五線譜に抜き出し、5分程度のエクササイズを12個作る。これを繰り返しながら出来るようになった部分を新しいものに差し替える方法。暗譜も並行して行う。一時間強。
2.F管、C管の基礎練習。2月の短期目標の内容。但しC管は学校に行けなかったのであまり手をつけられなかった。F管も飛び飛び。セルパンは後半から少しずつ時間が取れるようになった。
3.譜読み。といっても以前やった事のある曲を今後のレパートリー用に。池辺晋一郎の「象的修辞法」、カーゲルの「10の敗戦行進曲」(抜粋編曲)、ラヴィ・シャンカール「魅惑の夜明け」(編曲)、ピアソラの「ル・グラン・タンゴ」(編曲)、フェルドマン「Duration III」。

そんなわけで2月23日~29日の週間目標。
取り敢えずは基礎練習のペースを元に戻す事。月末から一週間日本なのでまた崩れる事確実なのだが、やれるうちにやっておく。
アラベスクは今週が仕上げなので重点的に。
一曲だけをやっているとどうしても行き詰ってしまう感があるので、今週はシャンカール「魅惑の夜明け」を細かく見ていく。元がフルート曲なのでテューバなんかでやるとえらく大変な事になってしまっているけれど、めげずに。

2004年2月 4日

2月短期目標。

2月一ヶ月間の短期目標。
C管。アンブシュア・ビルダーは定着したので、ロウ・トーン・スタディーズ(簡易版)と特にアーバンの跳躍の練習を上手く定着させる事。スラーはロラン・ペジィエのレッスンで聴いたように、もっとクオリティを挙げる事が第一。速度はその次。一日で取れる時間は最低一時間半を目安。音階を何かの形で練習に取り入れられればいいんだけれど。

F管。引き続きボボのマスタリング・テューバ、アンブシュア・ビルダー。先月一ヶ月である一定の上達は見られたけれど、この方向でもう少し伸ばしたい。マンネリにならないこと。特殊奏法の練習は現在7分ジャストで行っているけれど、今の2つに加えて日替わりで先月中途半端だった四半音と循環呼吸を取り入れて全10分でやってみる。来月本番のあるアラベスクはもう少し楽譜を読んでキチンとした対策を練ること。後日掲載。最低時間は1時間が目安。ジャズも同じくあまり系統だった練習が出来なかった反省を踏まえて、計画を立てること。

セルパン。これも中途半端になってしまったので、前半は定着させる事が第一目標。

どれも一枚の楽譜にして、どこでも練習できる状態にしておく事。F管は練習する曲の追加があるはずなので、その都度きちんと練習計画を練ること。

今週一週間の超短期目標は、週半ばなので取り敢えず新しい方法が上手く続けられるかといったことと、アラベスクの問題点の洗い出し、解決法の模索をメインに。

2004年2月 3日

マスタークラス:ミシェル・マッソー

 マスタークラス怒涛の三連発のラストはベルギーのテュービスト、トロンボニストのミシェル・マッソー(Michel Massot)。彼はジャズから現代音楽まで幅広く活動していて、今回はCNSMのサクソルン・ユーフォニアム科の招きでフリー・インプロヴィゼーションについての講座。クラスの大半はフリー・インプロヴィゼーションは初めてということで、色々と音を限定しながら(1音だけ、2音だけ、ノーマルな奏法だけ、特殊奏法だけ)ソロ、アンサンブルで即興を行い、皆でディスカッションしていく、といったもの。個人的に興味があったのは、即興における各人(各ライン)の独立性。彼は複数で即興する場合にそれぞれが徹底的に独立したものであるべきだと強調する。つまりあるフレーズに即座に反応して応答する場合、それは大概に於いてよい結果は生まない、逆にそのフレーズを演奏している奏者のチョイスを大幅に狭める事になる。異論がある方もいらっしゃると思うし、フリーなんだから良いも悪いも無いだろ、という方もいらっしゃるかもしれないけれども、僕は個人的にはこの意見に賛成である(もちろん彼もこの事を全否定しているわけではないが、上手くいくことは稀だ、というスタンス)。もう一つは即興で大事な事は適切な場所、時間を捕らえる事。自分がアンサンブルでもソロでも即興に入っていく場合、全体の流れからどこに自分のスペースがあるのか、どの瞬間に入るべきなのか、この見極めが大事だということ。この考え方は即興でなくても演奏についてまわる問題で、確かに記譜してある音楽の場合には演奏者のとれるチョイスは即興のそれと比べて狭められているけれど、逆にそれであるが故に狭いゾーンの中でどのスペースにどの瞬間でどのような音を入れていくのか、これは演奏のよしあしを決める大事なファクターだと思う。
 この何日間かで面白いセッションやマスタークラスを受けて、考えるべき多くの点が見つかった。こういう風に短期間に続く事は珍しい。その多くはまだ上手く文章に出来ないし、ここに書いた事もなんとなく本当のポイントにぴったり嵌っているという感じではないけれど。

2004年2月 2日

マスタークラス:デイブ・リーバーマン

 2月2日は10区の区立音楽院でジャズのサクソフォニスト、デイブ・リーバーマン(Dave Lieberman)の公開講座。午前中は前期のペズィエのマスタークラスで、はしごは結構辛かったんだけれども、非常に興味深い講座だった。カルテットを例にして、ソロ、ドラム、ピアノ、ベースがそれぞれどんな役割を果たしているのか、何に注意しなければいけないのかを説明した後、「どうやってジャズの語法を身につけるのか、教えるのか」という話題に入っていったのだが、これが凄く面白かった。彼はオリエンタルな民族音楽の伝承の例を挙げて、語法というのは学ぶものではなく、真似ることによってしか会得できない、と説く。確かに誰かのアドリヴを楽語、記譜法を駆使してノーテーションしても、本質的に大事な語法はその間から滑り落ちてしまう。我々が語法を学ぶ際に取りうる唯一の方法は真似る事である。
 ここでジャズを学んでいる人なら必ず避けて通れない耳コピの話になるわけだけれど、
1.イヤートレーニング。アドリブを「徹底的に」歌って、記譜する(これは3に繋がる)。
2.完全に一致するまで自分の楽器で癖から何から、聴こえるものは「徹底的に」コピーする。出来たらテンポや調を変える。
3.それが出来るようになったら1で採譜した楽譜を元にアナリーゼする。
1.2.において「徹底的に」という所と、2.と3.の順序がポイント。彼の今までの生徒がこれをやった例をCDで聴いたのだが、これがもうほんとに「徹底的」で凄かった。
 翻って考えてみると、この「本質的なものの伝承」という事はクラシックだろうと現代音楽だろうと変わらないわけで、確かに一方で初見などのテクニックの重要性はあるにせよ、こういった「伝承」の部分が結構低く考えられているんじゃないかと思ったりもする。
 もう一つ興味を引いたのは彼が演奏について語った中で、
「テンポというのは絶対に一定にはならない。確かに指定のテンポ、曲にあったテンポは存在するけれども、音楽がヴィヴィッドになるとき、演奏はそのテンポを中心とした非常に僅かだけれど、上下に拡がるゾーンの中にある」という言葉。この『ゾーン』はテンポだけでなく、音程、ダイナミクス、アンサンブルの繋がりに至るまでどこにでもあるものだろう。
 最後にもう一つ、彼の言葉。「私がブルースを気に入っているのはブルースの持つ『世界』、『統一性』
だ。ブルースは全ての民族、全ての時代、全ての音楽の中にある。犬でさえブルースを持っていると私は思っているけれどね。」イカス。

2004年2月 1日

マスタークラス:ロラン・ペズィエ

1月30日から2月2日(日誌の都合上1日に書いてます)まで、バスティーユ国立オペラのテューバ奏者ロラン・ペズィエ(Laurent Pezieres)のマスタークラス。初日は都合により参加できなかったのだけれど、残り2日、オーケストラスタディの講座(来月初旬に同じオケのもう一つのテューバの席のコンクールがある)。
 期間中に彼が一貫して強調していたのはスラーの扱い方。テクニック的(ハードウェア的)に文章にすれば、息の量、唇共にフレキシビリティに富んだ滑らかな動きが必要になる、という書き方になると思うんだけれども、そういった説明は一切せずにどういう風にフレーズを吹くべきなのか、どういうイメージを持つべきなのか、そういったことに力点を置いた説明だった。外から見ればなるほど先ほど挙げた条件が問題になってくるのだが、それを外からああしろこうしろ、というのではなく、音楽に直接結び付けている点は、先月の反省でちょっと書いたメンタルな部分の問題が大きく関わってくる点でとても面白かったし、感動した。
 それともう一つ個人的に興味深かったのは、彼の音楽観、音楽のスタイルというのが、(本人はどう思っているか知らないけれど)僕がこちらで初めて習った故フェルナン・ルロンによく似ていた点。現在フランス人の素晴らしいテューバ奏者は沢山挙げる事が出来るけれども、彼は良い意味でフランスのテューバの伝統を最も受け継いでいる人の一人だと思う。明るい音色、明確なアーティキュレーション、しっかり支えるけれど決して太すぎないフレーズのライン。
 彼が期間中に自分で例をみせて吹いてくれたのを聴く事が出来たのはとても嬉しかった。一聴は百見に如かず。