2004年11月30日

自問。

F管のアルペジオにV/V-V-I,Vsub-V-Iを追加。吸音奏法は試しにボルドーニなんかを吹いてみる。3度以上の跳躍が中々難しい。ボボの Masterring the tubaの完全版が家に届いたので眺めている最中。前回の「第一巻」と題されたヴァージョンは使っているうちにボロボロになり、「完全版」の内容もちょっと気になって購入。内容と全然関係ないけれど、製本、レイアウトが変更されていて、今回のほうが持ち運びに苦労しない。ざっと見たところ、リップスラーの後半が一部カットされたものの、その代わりに低音のスラーが追加され、一部エチュードにアーティキュレーションのヴァリエーションが追加された模様。前回のメソードもとてもよく纏まっていて頻繁に使用していたんだけれども、買おうか買うまいか迷っている方には取り敢えずお勧め。
先週「アラベスクV」の本番が終わり、今度は約2週間後の「ル・ブルドン・アン・ブランル」の準備。2曲とも本番の回数は重ねてきたわけだが、如何しても難しい部分が「やっぱ難しいよな」で終ってしまうのもなんなので(当たり前だ)、ページごとにわけてかなり細かい突込みを入れている。しかしながら細かいことは結構本番後にすっかりと忘れてしまうくせに、漠然とした記憶は残っている、という困ったことになっており、フィンガリングや暗譜は覚束ないくせに、気になる音程だけは変なクセで覚えていて修正しづらいというのは一体どういうことなのか自問。

2004年11月20日

C管練習内容の覚書。

 ボボのマスタリング・テューバの各項を一つずつ。ボルドーニ、ブラゼヴィッチから2つ抜粋。アンブシュア・ビルダーから幾つかを抜粋。トーン・クオリティ、レガート、スラーに重点を置く事。ボルドーニ、ブラゼヴィッチのようなエテュードは此方に来てからというもの殆ど用いていなかったもの。これは CNSMのクラスに限定された現象なのか、それともフランス全般においてなのかは判らない。

最近はどうなのかあまり把握していないんだけれども、フランスではまずF管からはじめてその後でC管、Bb管を学ぶ、といった傾向がある。ちょうど日本と逆。そういった順番での長所、短所をまとめておこう(独断あり)。

長所。テューバ以前にサクソルン、ユーフォニアムから始める場合もあり、年少者の場合に体格によるハンディが軽減される。楽器の取り扱いやすさから音階、アルペジオなどの練習が取り入れ易く、音感、調性感といったものを身につけ易い。そういった観点から考えればバランスの取れた上達が比較的に望み易い。

短所。勢いテクニック重視といった傾向に陥り易い。また、大きい楽器へのコンバートはその逆よりも難しい。特にオーケストラなどで必要となってくる「サウンド」に関してのアプローチが中々難しいように見える。但し、サウンドに関してはもともとフレンチ・テューバなどを使っていた伝統からか、太く支える低音というよりむしろクリアーである事が好まれる場合も多い。卵が先か鶏が先かの様な話になってしまうが。なんだか纏まり無くなってきたのでこの辺で。

2004年11月18日

(役に立たない)豆知識。

ヴィズッティのエチュードが一週間で一回りするようにきちんと割り算して始めたのに、いざ一週間経ってみると各練習てんでばらばらな進行具合になっているのは何故なんだろうか?(挨拶)
 グロボカールのjuriritubaiokaを学校で録音する機会があったので、先週末はその準備が中心となった。3時間で取れるだけテイクを取って、今からそれを聴いていかなければならない。先ほどのエチュードと同じく、どっかで計算が合わなくなりそうな予感。
 チューバ、サクソルンのコンクール用小品のことをちょっと調べたくなって図書館で昔の年鑑を引っ張り出して読んでみたのだが、単なる年鑑なのに読み始めてみるとなかなか興味深く、関係ないところをつらつらと眺めてしまった。サクソルンのクラスは1856年に軍楽隊用の予備クラスとして開講され、その後 1870年まで記録が残っている(卒業試験の名簿を見ていたので、何年かのずれはあるかもしれない)。資料では一くくりに「サクソルン」とされているため、一連のサクソルン属全般のためのクラスだったのかどうかまではざっと見た資料では判らなかった。1858年から1868年までこのクラスを担当していたのが教則本で有名なアーバンであったので、主に高音域ののサクソルン(ビューグル)が主体のクラスであったと思われるが、ピストン付きコルネットのクラスは別に設けられていたため、バス、コントラバスの生徒もいたのではないかと邪推。ま、そんな事ないと思うけど。余談だが、この時期で興味深いのはピストン付きトロンボーン(サックス式システムとの注釈あり)のクラスが開講されていたり(1869-1873)、サクソルンの仕掛け人であるアドルフ・サックスがサクソフォンのクラスを担当していたりで、楽器の変革期にあって結構野心的な時代だったんだな、と感じさせる。その後、「王立」から「国立」へと体制の変わった1872年からはぱったりと音沙汰無く、1955年にバス・トロンボーン、テューバ、バス・サクソルンという「マイナー楽器混成師団」とも言うべきクラスが創設されるのを待つ事となるが、その辺りまで調べようとする根気も取り敢えず尽きたので、またの機会に。練習日記じゃないですね、はい。

2004年11月12日

寒い。

冬時間に戻ってからというもの、冷え込む日が多くて困る。これからもっと寒くなると思うとちょっと辛いものが。
「本当の寒さはこんなもんじゃねっす」とか、どこぞの国の昔の王妃に「寒かったら暖房つければいいじゃない」みたいな事を言われそうだけど、去年調子に乗って暖房をガンガンつけて春先の請求で卒倒しそうになった辛い記憶が頭を過ぎる。

10月後半からの備忘録。
再びケルンでmusikFabrikのエキストラ。今回はカーゲルのOrchestrion-Straat。楽器の編成がちょっと変わっていて、配置もかなり面白い事に。最後にも少し仕掛けがあるんだけれど、全ては題名がキーになっている。こういう曲は何回でも演奏したい。本番直後に本人と話す機会があったんだけれど、前々からのファンだったので緊張してあわあわしてしまった。ミーハーだ。11月にはパリの日本文化会館でジョイントリサイタル。今回は30分のプログラムという事で、日仏の現代音楽を集めて一つの流れを作ろうと思いプログラミングをしたんだけれど、テューバ→セルパン→テューバという持ち替えが予想外に大変だった。それぞれを別に練習しているときはそうでもないのだけれど、通してやってみると最後の曲のハイトーンがもたない。という事で今回は不本意ながら最後の曲の後半でマウスピースを取り替えて対処。こういうのはあんまり良くない事だと思うんだけれど、出来りゃ何だっていいじゃない、という気もしないでもない。付け替える事で何か不都合があるのか、と言われるとぱっと直ぐに理由が言えないのだが、そこはかとなく後ろめたく、「道」を外れているような気がするのは何故だろう?
 今回は全体の流れとしては割りと自分の思ったとおりに事が進んだと思う。この後で録音を聞いたらそれはそれで落ち込むところもたくさんありそうだけれど。テクニカルな問題として、やばい部分の前後の安全地帯で予期しないアクシデントを招く傾向がある。メンタル的に難しい部分に集中しすぎて、その前後での息の使い方がどうも荒く(浅く)なる傾向に気をつけること。

F管練習内容の覚書。

ここ暫くの仕事はこれが主体なので、その準備は如何しても外せない。
基礎的な練習をC管に廻すとして、テクニカルな練習はヴィズッティの2巻を暫く取り上げる。中はインターヴァル、コード、スケールのヴァリエーション。一週間で全部当たる様に計画して、これを何周かローテーションでこなす。今の時点では結構ややこしいのもあるので一時間くらいかかるけれど、最終的には30分程度に抑える事が目標。年末まででどうしても時間が短縮できないようであればローテーションの方法を再考すること。この他いつもやっている練習を30分程度を目安に。
II-V-Iのアルペジオ、基本形、展開形のアルペジオ、各種特殊奏法、四分音、ベンディング、スラー。

2004年11月11日

ここに来て漸く反省。

 というわけであっという間に8月。8月は毎年呼んでいただいている秋吉台の現代音楽のセミナー。今年は金管楽器のクラスを受け持つという事もあって、事前の準備がなかなか慌しかった。開催中は過密スケジュールという事もあったけれども、それだけが理由というわけではなく自分の演奏は今ひとつ納得できなかった。反省は9、10月分と纏めて行うのでここでは端折る。9月は一旦パリに戻ってきてケルンの現代音楽アンサンブルmusikFabrikのエキストラ。ケルンを本拠地として活動しているアンサンブルだけれども、メンバーはかなり多国籍。ここの金管楽器の人たちのレヴェルの高さ、モチベーションの高さには脱帽した。この演奏会の後再び日本に戻って某オケのオーディション。C管は個人所有のものを一旦日本に置いているので、学校の同モデルの楽器2本を使って練習し、日本で調整、という手順を踏む事に。大まかな練習の計画は予定通りこなしたのだが、本番はそりゃあもう悲惨な演奏で、猛省。

ここで6月からの自分の演奏を振り返ると、どうも練習自体は上手く機能していると判断するわりに本番での結果が芳しくないという状況に陥っている。というわけでここに来て漸くこの日誌本来の役目。

問題点。
練習して得られるであろう結果と本番での出来の乖離。

要因の予想。
1.本来練習中に予想している到達点が予定している時間の経過より遠くに位置している。よって練習によって得られた成果がそのまま本番に直結しているわけではない。
2.幾つかの問題解決に当たって優先順位を間違えている。
3.練習内容とその結果の判断基準が甘い。
4.バーカバーカ(やけくそ)。

楽器別。
C管に関して言えばこれは練習時間が(本来取るべき時間に比べて)圧倒的に少ない。基本的に解決していない幾つかのスキルに関しては、練習時間をより積極的に割り当てるとともに、より長期的な視点に立って推移を見守る必要がある。(1.の問題)
F 管は仕事でメインで使う楽器なので、ある程度の「慣れ」はある。しかしながらこの半年はマウスピースを変えたこともあってデリケートなコントロールに正確性を欠く傾向がある。結果として「できるはず」なのに「できない」部分が多々出来した。問題は「できるはず」であろうと判断して根本的な対策を怠った点にある。(3.の問題)
セルパンは現時点で演奏会で使うケースは現時点ではそれほど多くなく、寧ろ準備段階にある(基礎的なスキルを挙げておく)と位置づけるべきである。のにも拘らず、ある日思い立って無駄な猛練習をしたりする。(2.の問題)(4.の問題)


問い。
・それぞれの「練習」が出来る部分を出来ると確認し、出来ない部分を出来ないと確認するだけの「作業」になっていないか? 
・また、本番では「こうならなければならない」というある一定の水準があるのに対し、各楽器それぞれの問題を鑑みて練習段階である程度妥協した目標設定をしているのではないか?その水準と妥協した目標のずれが今になって感じられているのではないか?
・全くの基礎的練習を一端に置いて、曲、即興をその極に置いて考えた場合、その中間部分に推移するように位置する部分の練習が不足しているのではないか?(勿論、視野を拡大すればその極同士は輪のように繋がっているのだが。)
 
どうにも纏まらずにだらだらと考えている感もあるのだが、書いてるだけでは当然解決できないので当座の対応策。

楽器別。
C管。積極的に時間を取る事。基礎的なスキルの練習は全てここに収める。ただ、短期間で劇的、定期的なステップアップをする事はあまり考えない。「積み重ねる」こと。「慣れる」こと。それぞれの練習はストレス無く出来るようになるまで留まるよう心がける。

F 管。テクニカルな練習は内容、時間ともにブラッシュアップする事。C管に移せる練習は極力移す。曲、或いは仕事に繋がる練習に時間を割くこと。同時に幾つかの特殊なテクニックの習得は短い時間でも必ず配置(先行投資)。F管の練習自体の時間配分は今までより少なくする事。つまりは内容全てをより精査する事。

セルパン。ややC管と似た立場。但し時間はきちんと区切る事。より楽器に「慣れる」必要あり(フィンガリングと音程の問題)。C管と違うスタンスなのは「出来るようになるまである練習に留まる」ではなく「規定回数こなしてまた戻ってくる」点。

2004年11月10日

夏時間。

 というわけで再び時差を7時間戻してアヴィニヨンへ。一週間抜けているうちに雰囲気は本番モード(こっち方面)になっていてやや焦る。日夜を惜しんで放送禁止用語を復唱する姿はどう考えてもマトモとは言いがたいが、自分ひとり出遅れているのでしょうがない。因みに他の人のテキストにはそういった放送禁止用語の影は見られず。人を見てテキストを渡しているのか?とはいえ、それなりのおいしいポジションであることは間違いない。
 台詞の事ばかり頭にあるが、肝心の楽器のほうはどうなったのか?結果として今回の楽器での役回りは、複数の会場を移動する観客のナビゲート的な信号的役割である事が判明し、幾つかのスケッチを元に即興でこなす事に。即興はよしとして、楽器持ったまま100メートルくらい全力疾走して直ぐ吹くとか、南仏特有のミストラルがびゅんびゅん吹きまくる野外でアルペンホルンを吹くとか(風のせいで楽器が揺れてマウスピースが口から離れていく…)、予想外に体力仕事だった。台詞のほうは大笑いする人もいれば本気で怒っている人もいて、それぞれの反応がとても面白かった。
 前回も少し触れたけれど、演劇の世界での本番までの持っていきかたと、(オーケストラのような)クラシック音楽のそれとは天と地ほどの違いがあるように思う。演劇では台詞を覚えて、振り付けをして、演出をして、通し稽古をして、と「組み上げていく」課程での共同作業の時間が非常に多い。また、舞台や照明、その他の予期しない問題が多々発生するので、練習時間に関しても大まかなプランニングで、朝から晩までかかりっきりというのが多い。当然、練習の時の気の張り方はオケの仕事のようなときとまるで違う。クラシック音楽では短期間で要求を仕上げるスキルが重要視されるし、演奏会までの一連のプランニングは非常にシステマティックに洗練されている。公演に関しても演劇では一回仕上げたものはかなりの回数をこなすが、オーケストラで全く同じプログラムが20回を超えることはあまり無いように思う。(むしろ一回性に特徴がある。)どっちが良い悪いというのではなく、公演に向かってのこの両者の違いは、自分の練習のプランニングを考える際にも有効だと思う。そういえば全然練習日記になってないな。

2004年11月 9日

○●を△する。

6月後半。ジャック・ルボティエの新作のスペクタクルの準備のためにアヴィニヨンへ。演劇、スペクタクルの世界はそんなに深く関わっているわけではないので、仕事に対するペースの作り方がまるっきり違うのが大変興味深かった。今回は7月後半に10回の公演のために、一ヶ月前から練習を開始。主なスタッフは 3ヶ月前くらいから現地入りしていたようだ。夏のアヴィニヨンというとこれはもうあの有名な演劇のフェスティバルで街はごたごたしているらしい。らしいというのは我々が滞在していたのは川を挟んだ対岸のヴィルヌーヴ・レ・ザヴィニヨンだったので聞こえるのは電車の通る音と鳥の声というくらいのどかなところ。会場であり宿舎でもあった場所は昔の大きな修道院で、これはとても雰囲気のよい建物だった。
 今回自分が何をやるのか、といった事は事前に全然知らされてなかったので、ほいほいと楽器(テューバ、セルパン)を持ってTGVに乗り込んだわけだが、現地についてみるとどうやら楽器はあまり吹かなくても良いらしい。というかまだそこんとこは出来てないからヨロシクみたいな感じで、そのスペクタクル中で喋るテキストを渡される。やたらと俗語が多くて全然訳判らなかったので(辞書にも載ってないし)、演出の女の子に発音も兼ねてレクチャーしてもらう。教えてもらっているうちにどうやらこのテキストはあっち方面のそれはもう放送では絶対使えないような単語のオンパレードだったことが判明。あっち方面というのはこっちじゃないあっちですよ。それならそうと言ってくれよ。おもっくそ女の子に「○●ってどういう意味なんですか?」とか聞いちゃったじゃねぇか。ていうかこれ公衆の面前で言うのかよ。
 とか言って悪戦苦闘しているうちに一週間だけ練習を抜けて日本に帰る事に。此方はブラス・エクストリーム・トウキョウの演奏会。夏の夕暮れにビール片手に演奏会、という個人的には演奏するより聞く側に回りたいような魅力的な企画なんだけれども、こういう演奏会と我々が用意した(一部おどろおどろしい)プログラムは果たして方向的に一致しているのか?という心配があった。しかしながら一曲ごとに率直な反応が返ってきたことはとても嬉しかった。ポジティヴな反応もあったし、勿論ネガティヴな反応もあったと思うんだけれども、それは曲の出来というよりは演奏の出来に返ってくるものであったように思う(個人個人の曲の好き嫌いは当然あるとしても)。僕個人は現代音楽を啓蒙するというような考え方はばかばかしいと思うし、自分が面白いと思ったものをどう表現するかという点で日々悪戦苦闘しているわけで、こういうダイレクトな反応がもらえる場所はとても貴重だったと思う。ご来場の方々、関係者の方々、ありがとうございました。

2004年11月 8日

まるで~だ。

まる‐で[副]

  違いがわからないくらいあるもの、またはある状態に類似しているさま。あたかも。さながら。
  例:「他人の日記サイトの更新には厳しいくせに、自分のサイトはまるで借りてきた猫のように静かだった。」

8月某日。
「最近(ていうか5月からだけど)練習日記更新してませんよね。」
「なんかバタバタしちゃってて。そのうち再開するつもりだけど。まあ自分のための日誌でもあるし、次アップするときは『俺の日記だ、更新が遅くて文句あるか』とか煽り気分満載で始めちゃったりして。」
「あ、それ必ずやってくださいね。」
「やるやる。」
…と宣言してはや3ヶ月。なんかもう煽るとかどうとか言っている場合じゃないような気が。

というわけで、再開なのかまた2月くらいまでほったらかすのか全く自信は無いけれど、取り敢えず備忘録としての役割もあるので、予定表を引っ繰り返しながら思い出す。しかし毎日更新してる人って凄いよな。

5 月。ヒンデミットのソナタを集中して練習していたので、学校の機材を使わせてもらって録音。編集もしてもらって一応綺麗な形にまとめてみたものの、やはり色々と自分の出来に不満。ちょうどマウスピースを変えてもう何が善で何が悪なのか判らないような感じだった。(サイズから何から全く別物に移行したのと、また個人的に反応が鈍いのもあるんだろうけれど、この件に関してはここ最近漸く慣れてきた、というのが現状。)
 続いてルーアンのオケでブラームスのドイツレクイエム。合唱の入っているオケ物はいつもの音程の問題に加えて合唱のバスとの音程、バランスの問題が出てくるので単純な音符のわりにデリケートな事が多い。3番トロンボーンとユニゾンになることも多々あるので、なかなか勉強になることが多かった。

6月。前半はアマオケのトラと鈴木純明「落ち着かないブルドン」の再演。オケのほうは「韃靼人の踊り」とか「スペイン奇想曲」といったポピュラーなもの。定番のプログラムというのは意外とやる機会がなかったので楽しかった。ちょっと変わったプログラムだったのはブラームスの「埋葬の歌」作品13。混声5部及び管楽器とティンパニ伴奏という編成。葬送音楽には(機会音楽ということもあって)管楽合奏という形態はしばしば見受けられるのだけれど(ワーグナーの「ウェーバー『オイリアンテ』の動機による葬送音楽」など)、ブラームスも作曲しているのは知らなかった。因みにちょっと検索してみると、ブラームスにはシューベルトの歌曲のピアノ伴奏を管楽用編曲したものもあるらしい。こういうのばっかり集めて演奏会してみたら面白いんじゃないかとは思うけれども、「葬送」とか「埋葬」とか「勝利」とか「革命」とか、そんなんばっかりになってしまいそうな予感。
 
「落ち着かないブルドン」の再演に当たっての練習は大体思い通りだったのだけれど、本番で思わぬ落とし穴が。諸事情で今回はモニター(パッチをキチンとした順番で正しい位置で動作させているかを確認するディスプレイ)なしでやろうということになって、練習までは上手くいっていたのだけれど、本番の最中各場所でずれてしまった。
問題点。
1.パッチを動作させるフットスイッチはものによって、ちゃんと押したか押していないかがはっきり判らない。
2.その場合は本来モニターがあれば確認し、a.次のイヴェントとの兼ね合いによっては放置するなり、急いで押すなりの対処をする。b.会場のテクニシャンなり作曲家が手動で補正するのを待つ。といった手順を踏む。
しかしながらモニターがない場合にはこの辺りの判断が非常に曖昧になってしまうわけで、じゃあ経過時間で自動的にパッチが変わるようにしようとか、全てをテクニシャンの手動に委ねるとか、そういった解決法もあるんだけれど、そうしてしまうと今度はリアルタイムで奏者の自由度に合わせる、という考え方はどうなっちゃうのよ、という別の問題も出てくる。「間違えずに押せ」といわれてしまうと辛いが、100個近くのイヴェントを操作するに当たって、フットペダルを使って練習できる環境が2回とかになってくるとこれまたきつい。
さしあたっての解決法は、自分が信頼できるフットペダルを自前で購入、ということになるのかもしれないが。
6月後半からは劇。