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低音デュオ各曲解説:沼地の水(2009)

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さて、続いての紹介は、田中吉史さんの「科学論文の形式によるデュオ」と同じく、昨年の演奏会で委嘱し初演した、鈴木治行さんの「沼地の水」です。鈴木さんも先日の田中さんとはまた違った方法で、言葉を扱うことについて非常に独特なアプローチをなさっています。以下昨年の演奏会プログラムより転載。

沼地の水 (2009)

 なぜかここ2、3年、言葉を扱う作品を書く機会が増えていて、その都度、言葉(イメージ)と音の関係をどうするか、といういつもの問題が頭をもたげる。その時、なるべくなら、伝統的に言葉の意味性に寄り添いそれを増幅する、ということをやりたくないという心理が働くわけだが、かといって抽象的な音響として声を扱うという、モダニズムの文脈においてさんざんやられてきたアプローチも全く退屈だとすればはたしてどうすればよいか?というわけで、6年ほど前に「語りもの」において始まり、今もまだ未知の可能性をそこに感じている自己言及というアプローチが浮上してくる。本来は「語りもの」の新作において展開させる予定だったコンセプトを、一足先に「語りもの」ではないがその周辺に位置するこの作品で試みようというわけだ。そしてまた、チューバという僕にとって今回初めて向き合う楽器をどうするか、というもう一つの問題もあった。この作品で耳を傾けていただきたい聴取の焦点は、バリトンとチューバとの関係性にある。二者の関係性の糸が、寄り添ったりずれたり、絡んだりほぐれたりというその様相を観察すること。そのための媒介として、物語らしきものの断片も立ち現れるであろう。最後に、今二者といったが、バリトンの歌唱と歌う内容との間にもずれがあるため、実は二者ではなく、歌唱、テキスト、チューバの三者の関係性なのだということも言い添えておきたい。この作品を作る機会を与えていただいた松平さん、橋本さんというすばらしい同時代の演奏者お二人に感謝致します。

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