2000年10月 1日

バーンズ/第3交響曲

Third Symphony Op. 89 (1995)
James Barnes (1949-)

第3交響曲 作品89
ジェイムズ・バーンズ

ジェイムズ・バーンズは、カンザス大学で学び、現在、同大学の教授を勤めるとともにコンサート・バンドの指導にもあたっている作曲家である。数多くの吹奏楽曲を作曲し、日本においても演奏される機会は多い。この交響曲第3番は、ワシントンの米国空軍楽隊とその当時の隊長、アラン・ボーナー大佐の委嘱により作曲された。当初、1995年12月に同空軍バンドにより初演される予定だったが、演奏旅行が中止となったため、1996年6月13日、大阪市音楽団による演奏が世界初演となった。フルスコアの冒頭に彼によるこの曲の解説がなされているので、以下引用する。

―(前略)―私はこの仕事に取り掛かった時、人生において大変困難な時期を目の当たりにしていた。私達の最初の娘であるナタリーを失った直後であったので、もしもこの曲に表題をつけるならば、『悲劇的』と呼ぶのが妥当であろうか。
 この作品は絶望の深い暗闇から成就と喜びの輝きへと進んでいく。第1楽章は挫折、苦難、絶望、落胆といった、娘を失った後の私的な感情の全てが反映している。スケルツォ(第2楽章)は風刺、ほろ苦い甘味を持ち、其れゆえ世の中のある人々の尊大さや自惚れといった感情に関係している。第3楽章はナタリーが生きている仮の世界のための幻想曲であり、また彼女への別れの挨拶でもある。終曲(第4楽章)は魂の再生、我ら全てのための赦しを象徴している。最終楽章の第2主題は古いルター派の賛美歌『神の子羊』"I am Jesus' Little Lamb"に基づいている。この歌はナタリーの葬儀の時に歌われたものである。歌の最後の詩節は次のようなものである。

私ほどの幸せが誰にあるでしょうか
神の子羊である今の私のように
私の短い生涯が終わったときには
主に仕える万軍の天使によって
主の胸に抱かれるのでありましょう
ああ、主の腕の中の休息

 この交響曲の完成から3日後、1994年の6月25日に息子であるビリーが生まれた。第3楽章がナタリーのためであるならば、終曲は正にビリーのためであり、姉にあたるナタリーの死後彼を授かった我々の喜びでもある。―

 吹奏楽曲としては極めて大きな編成が用いられているが、曲の構成は伝統的な4楽章の構成で、自由なソナタ形式の第1楽章、ABA形式の第2楽章、ABCABCの形式をとる第3楽章、ソナタ形式の第4楽章からなっている。第1楽章と第4楽章はリズム、動機の取り扱いの点で特に関連性を持っている。曲中では管楽合奏の様々な可能性が試みられ、その試みの成功によって、演奏会用バンドを弦楽器の欠けたオーケストラの様に扱うことなく、幅広い音楽表現を獲得しているといえよう。
I. Lento-Allegro Ritmico
II. Scherzo
III. Mesto (for Natalie)

(今までいろんな機会に書いた曲目解説。自分の演奏会のものの他、依頼された物も有りますので、テューバ以外の曲もあります。以前この類の情報を収集するのが結構面倒くさかったため、何かの役に立てばと思いここに掲載します。転載自由。)