2010年11月 7日

低音デュオ:満員御礼

終演後バタバタとしている間に3日も経ってしまいましたが、低音デュオへご来場頂いた皆様、ありがとうございました。共演の松平敬さんもブログにて仰っていますが、我々のレパートリーも第3回目を迎え、中々充実してきたように思います。また、今回は初めての試みとして、一週間近くにわたってツイッターで対談も行い、田中、鈴木両氏に色々と本番では時間的に伺えない話をしていただくことも出来たのが嬉しいポイント。
次回は第4回、また新たな展開をお見せすることができればと思っています。

(多分、「ローテーション I」はそこで再演予定。)

2010年11月 2日

低音デュオ各曲解説:ローテーション I (2010)

さて、曲目紹介も3曲目、今回は今年の委嘱作である松平頼暁さんの「ローテーション I」です。この曲には題名が指し示す、ちょっと凝った仕掛けが施してあります。その仕掛けとテキストの関連性が非常に興味深い。

ローテーション I

 低音デュオの委嘱により作曲。演奏順が決まっている10頁と、後半のどこかで演奏される1頁から成る。順序が確定している 10頁は上下逆に読むと、ソプラノとサクソフォンのための「Rotation II」になる。IもIIも、テクストは猿田長春訳詩の「しでなし ごでなし ろくでな詩」から「ゐたいところに」(I)と「ゐないをとこ」(II)によっている。不在や不在願望をうたうテクストに対して「彼は常に我等と共にあり」という言葉が、英、独、仏、伊と日本語で語られる。

(テクストの本文も頂いているのですが、これは著作権上掲載できないので、ここでは割愛。)

2010年10月27日

10/25-11/05低音デュオTwitter対談

バリトンの松平敬さんとtwitterで、今度は二週間、のんびりと対談します。

2010年10月25日(月)〜2010年11月5日(金)
「第6回 低音デュオ橋本晋哉×松平敬 Twitter対談」

『現代音楽の庭』http://twitter.com/jscmgarden
松平敬 http://twitter.com/matsudaira_jscm
橋本晋哉 http://twitter.com/s_hashimot_jscm

対談をご覧下さる方は上の3つのアカウントをフォローしてください。ハッシュタグ#jscmtaidanでもフォロー可能ですが、時折つけるのを忘れたりするので、フォローしていただけるとありがたいです。

今回は来週に迫った演奏会を挟んで、各曲についてあれこれ語ったり、終わった後の反省会をお届けする予定。

2010年10月26日

低音デュオ各曲解説:沼地の水(2009)

さて、続いての紹介は、田中吉史さんの「科学論文の形式によるデュオ」と同じく、昨年の演奏会で委嘱し初演した、鈴木治行さんの「沼地の水」です。鈴木さんも先日の田中さんとはまた違った方法で、言葉を扱うことについて非常に独特なアプローチをなさっています。以下昨年の演奏会プログラムより転載。

沼地の水 (2009)

 なぜかここ2、3年、言葉を扱う作品を書く機会が増えていて、その都度、言葉(イメージ)と音の関係をどうするか、といういつもの問題が頭をもたげる。その時、なるべくなら、伝統的に言葉の意味性に寄り添いそれを増幅する、ということをやりたくないという心理が働くわけだが、かといって抽象的な音響として声を扱うという、モダニズムの文脈においてさんざんやられてきたアプローチも全く退屈だとすればはたしてどうすればよいか?というわけで、6年ほど前に「語りもの」において始まり、今もまだ未知の可能性をそこに感じている自己言及というアプローチが浮上してくる。本来は「語りもの」の新作において展開させる予定だったコンセプトを、一足先に「語りもの」ではないがその周辺に位置するこの作品で試みようというわけだ。そしてまた、チューバという僕にとって今回初めて向き合う楽器をどうするか、というもう一つの問題もあった。この作品で耳を傾けていただきたい聴取の焦点は、バリトンとチューバとの関係性にある。二者の関係性の糸が、寄り添ったりずれたり、絡んだりほぐれたりというその様相を観察すること。そのための媒介として、物語らしきものの断片も立ち現れるであろう。最後に、今二者といったが、バリトンの歌唱と歌う内容との間にもずれがあるため、実は二者ではなく、歌唱、テキスト、チューバの三者の関係性なのだということも言い添えておきたい。この作品を作る機会を与えていただいた松平さん、橋本さんというすばらしい同時代の演奏者お二人に感謝致します。

2010年10月25日

低音デュオ各曲解説:科学論文の形式によるデュオ(2009/2010)

さて、そろそろ11/04@門仲天井ホールでの低音デュオ3rdライヴで演奏する曲をご紹介していこうと思います。まずは、昨年のライヴで初演した、田中吉史さんの「科学論文の形式によるデュオ」。田中さんにはテューバとピアノのために「ブルーノのアウラ」という曲も書いていただいたのですが、「語ること」「話すこと」と音楽を独特の方法で結びつける、とても興味深い方法で曲を書いていらっしゃいます。以下ご本人による解説。


科学論文の形式によるデュオ(2009/2010)

バリトンとチューバが学会発表をする。この手の学会ではままあることなのだが、研究領域の専門化が進みすぎて、内容を完全に理解できる人はほとんどいない。聴衆の多くは、部分的にしかわからない彼らの発表を、ひたすら続く音の流れとして体験している--まるで音楽のように。
「科学論文の形式によるデュオ」は、このような体験をシミュレートしたものだともいえる。科学論文(この作品においてより厳密に言えば、実験心理学における論文)の書き方というのは、細かいところまで様式化されており、この作品もそれに従っている。すなわち、全体は「概要」(abstract)、「目的」(purpose)、「方法」(method)、「結果」(results)、「考察」(discussion)、「結論」(conclusion)より構成されており、細部に関しても所定の様式に従っている。
なお、ここではある記憶実験が報告されているが、学術的な研究報告としてではなく、我々は科学論文と共通した構成を持つ別のものとして聴かれることを望んでいる--まるで音楽のように。
昨年の「低音デュオvol.2」で発表されたが、今回はさらに推敲された形での発表が行われる。

2010年3月31日

The tuba in my life:file10.プログラム&御礼

10/03/30先日"Le tuba rencontre..." vol. 6 を無事終えることが出来ました。寒いなか足を運んでくださった方々、ありがとうございました。
こういったコンセプトを主軸としたリサイタルは、2006/02/21 [B→C」、2008/01/26「テューバは語る」に続いて3回目でしたが、前2回が自分で構成した分ある程度結果の予想がついたのに対して、今回は良い意味で予想を裏切られることが多く、準備の段階では大変でしたが同時に楽しいものでした。

テクニカルな今後の問題としては、1/4音の運用についてもう少し突っ込んだ練習が必要であることを痛感しました。ちょっと放ったらかしになっているのですが、チューバの1/4音についてのメトードと自分のためにも書いてみようと思います。また近々youtubeに動画がアップされる予定です。

当日のプログラムをPDFファイルにて御覧いただけます。こちらをクリック。

この"The tuba in my life"という企画、非常に刺激的ですので、今後もまた他の作曲家を迎えて続けていこうと思います。

2010年3月29日

The tuba in my life:file09.チューバの現在

さて、9回に分けてお送りしてきた3/30のコンサートのコンセプトですが、最後はチューバとピアノのために作曲された田中作品、そして今回委嘱した曲のテキストです。
全体をまとめたプログラムに付いては後日改めてエントリを起こしたいと思います。


■チューバの現在:Transformを抜け出して

チューバに限らずどの楽器でもそうだが、演奏家は古い曲だけではなく同時代の新しい音楽も手がける。西洋音楽の歴史は新曲の誕生と淘汰だが、生き残った作品は古典となってTransformの対象になり得る。マショーもバッハもシューベルトもベートーヴェンも、自分の作品が見知らぬ楽器によって演奏し直されるとは思っていなかったのと同様に、どのような新しい音楽も将来どのように状態変化(Transform)させられるのかは分からない。Transformがリコンポジション(再作曲)によって「新しいオリジナル」を作ることなのだとすれば、元の作品は新しい作品のための素材(ネタ)の次元に置かれることを意味する。まだ素材化されていない状態を「ピュアなオリジナル」というのだとしたら、新しい音楽がそうなのである。ではリコンポジションによって誕生した「新しいオリジナル」は「ピュアなオリジナル」たり得るのか(ああややこしい)? 歴史は螺旋のように循環する。

ともかく新しい楽器(や編成)であればあるほど、このような状況は起こりやすくなるはずだ。

田中吉史の《Aura di Bruno, oppure un'intervista interpretata da tuba e pianoforte(ブルーノのアウラ、あるいはチューバとピアノの通訳によるインタビュー)》という長いタイトルを持つ作品は、ブルーノ・マデルナ(1920-73)のインタビュー録音を素材に、作曲者の興味の対象である「話し言葉を器楽に移植すること」というコンセプトで書かれている。上に書いた文意とは異なるがこれもまた一種のTransformである。2008年橋本晋哉によって委嘱、同年「秋吉台の夏」で初演されている。

山本裕之の《輪郭主義I》は今回のために書き下ろされた。通常音律のピアノと徹底的な4分音を駆使したチューバはほとんどピッチ・ユニゾンで出会う機会がないが、それでいて概ね明確な線をなぞり続ける。そこに立ち現れるのは歪んだ輪郭であり、常に曖昧な線の提示である。橋本晋哉によって委嘱、2月末に完成。



今までのこのコンサートの関連記事はこちらから、またコンサート日時、場所の詳細は「続き」からどうぞ。

続きを読む "The tuba in my life:file09.チューバの現在"

2010年3月22日

The tuba in my life:file08.舞曲の物質化

さて、今まで今回の演奏会のコンセプト、"Transform"(状態変化)の4つのキイ・ワードをご案内してきました(「テキストからの離脱」、「オブリガートの剥離」、「ポリフォニーの解体」)。今回はその最後、「舞曲の物質化」、題材はバッハの無伴奏フルート・パルティータです。

古典組曲はいうまでもなく当時の舞曲、すなわちダンスミュージックを様式化したもので、当然のことながら曲のキャラクターは意識的に区別化されている。
『舞曲の物質化』は、バッハの無伴奏フルート・パルティータを楽譜そのままの形で演奏する。しかしここでは舞曲にかませる「物質」によってチューバの音響ともども新たな区別化を試みる。

◆J.S.バッハ:無伴奏フルート・パルティータ イ短調 BWV.1013
1.アルマンド(ゴム質吸音材)
2.クーラント(コイル)
3.サラバンド(皮と鈴)
4.イギリス式ブーレ(アルミ)



今までのこのコンサートの関連記事はこちらから、またコンサート日時、場所の詳細は「続き」からどうぞ。

続きを読む "The tuba in my life:file08.舞曲の物質化"