2003年3月 7日

ベジエ忘れ物紀行(~2月22日)

 二月第一週第二週はオランダのコンクールの譜読みを重点的に。今回初めてさらう曲は2曲だけなのだけれど、これらが結構厄介。一つはテューバは開放で吹いたまま足と手でリズムを打つもので、トリック自体は慣れの問題なのだけれど、自然倍音の上のほうを使いまくっている曲なので、全体をまとめるという意味でのコントロールが難しい。もう一曲は音高の変化がほとんどなく、音量、音色の変化で聞かせる曲で、コンクールで「魅せる」という意味では非常に難しい(前者の曲はあまりにもリスクが多すぎて結局即興などと差し替えたのだけれど、これはまた後の話)。例によって時間がないので、フィナーレで打ち込んで大体の概要、取りにくい音程の把握に努める。改めて実感したけれどある種の曲はこのように楽譜に書いていることを機械的に正確な形でまず把握することで、後の解釈=パーソナライズが非常にはっきりと方向付けすることが出来ると思う。
 第三週からは南仏ベジエのフェスティバル。低音楽器のフェスティバルが開かれていて、今年はその一環としてうちの学校のテューバのクラスの演奏会が行われる。この中の一つのコンサートで地元の学校の吹奏楽とグレッグソンのコンチェルトを吹くことになっている。コンクールも来週に迫っているので、クラスのほうの演奏会はなるべく出ないで(非協力的)、下り番の時間を準備に当てる。譜読みと各曲の調整で結構手一杯なので、グレッグソンは細かく分解して前回の基礎練習の延長線上の練習を行う。
 テューバという楽器でコンチェルトを吹くことは結構稀なんだけれど(当たり前だ)、ピアノ伴奏と違って後ろに大勢の奏者がいることはメンタル的にもフィジカル的にも全く別の曲を別のアプローチで吹いている感がある。ブレスの位置も多めになるし、全ての場所において表現をかなり誇張しないと、オーケストラにも聴衆にも「今行われていること」の把握が難しい。特にテューバは元々が伴奏楽器なので、その度合いはヴァイオリンやピアノのそれよりも大きいと思う。練習一回でもかなり消耗が激しい。と同時に、演奏会でいわゆる「協奏曲」をピアノ伴奏でやる場合の準備に、「オーケストラとやる場合にはもっとこうしなければならないから」というアプローチは一考の余地があるように感じた。それはそれ、これはこれ。リダクションも含めて、ピアノとソロのデュオという形に再構築する必要があると思う。
 週末が本番だったんだけれど、色々と準備することが多かったせいもあって本番当日にカバンをマクドナルドに置き忘れる。中にパスポートやら切符やらが入っていて、ジェネラルの合間を縫って町中を探し回る羽目に。幸い午後になって店で発見されてほとんどの物は回収できたんだけれど(ポケットPCは盗られた)、もうくたくたになってしまった。その微妙な脱力感のせいか本番は上手く行ったんだけれど。この週は非常に忘れ物の多い週で、前述のカバンをはじめ、楽譜、マフラーなど連日のように紛失しては探し回るという有様。忘れ物をしていないか10回くらい確認して、パリに戻る(それでもしてるような気がするんだけど)。

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