2004年4月 4日

たかがパート譜、されどパート譜。

 今回は練習日記と関係ないネタですが。
 先日の仕事での話。CNSMには指揮科や作曲科などのクラスのために卒業生オケというのが常備されているわけだけれど、今回もそのなかのオーケストレーションのクラスのためのセッション。3日で凡そ20曲以上を録音するわけだけれど、毎回問題になるのがパート譜の書き方。今回はオケ側の人間とオーケストレーションのクラスの教授との口論にまでなる有様で、結構消耗。
双方の大体の言い分は次のようなもの。

オケ側
 原曲がオケでない曲を編曲するため、「前にやった事がある」曲が一曲も無い中、かなりの曲を短期間で仕上げるためにはキチンとしたパート譜が大前提条件。ノーテーションソフトが普及したおかげで小節数の間違いは少なくなったものの、「使える」楽譜にするための(主にはレイアウトに関する)問題が多すぎ。

教授側
 お金を貰ってこの仕事をやっている以上、プロフェッショナリズムの精神に基づけば、それくらいの問題で意義を唱えれるわけは無いはず。第一、こちら側も2 週間前には楽譜を提出しているわけであって、疑問があれば予めセッション開始前にスコアと照らし合わせるなり、書き込みをするなりして対処するのがプロではないのか?

 演奏家側としては「プロフェッショナリズム」という言葉を出されると如何しても言葉が詰まるのだけれど、あえて言わせてもらえばそれこそ楽譜を書く立場としての「プロフェッショナリズム」に対して疑問を呈したい。勿論、仕事として契約書にサインをして事前に楽譜を受け取った以上、そこに書いてある事を最大限引き出すのは演奏家の使命であって、例えばそこに書いてある難しいパッセージがあからさまに初見状態である場合は我々が非難されるべきだ。
 僕自身時折編曲も手がけることがあるので、書く側の言い分も充分判る。編曲、作曲であればまず全体を通した楽器法なり作曲法に出来る限り力を注ぎたいのは当然の事だし、結果として締め切りギリギリまでスコアに書き込むことだってあるだろう。その結果パート譜までは如何しても手が回らなくて、細かいミスは現場でどうにかしよう、どうにかしてもらおうと考えたくなる気持ちも充分にわかる。

 ただ、楽譜を貰う立場の事も少し考えてもらいたい。僕個人の経験はテューバという楽器の特殊性もあって、些か事が大きくなるきらいもあるけれど、例えば次のような楽譜によく遭遇する。

 楽譜は一枚。曲名。約100小節の編曲。大まかな練習番号。テンポ表示無し。音は最後の最後に全音符が一つだけ。ペダルトーンのpppp。

 はっきり言ってこのような楽譜を事前に貰っても練習のしようが無い。無いですよね。しようがないからそのままセッションを迎える事になる。録音前には部分的に切って練習をするけれども、ガイドの音符もないし、大まかな練習番号なので指揮者が「75小節目から」といっても自分の楽譜でどこに該当するのかわからない。そうやって自分が音を出す場面になったらなんと殆どソロの状態だった。もう一回くらいやらないとタイミングもバランスもわかりゃしないけれど、時間が無いからそのまま録音。

 こういったものを20曲ぐらいやってたら誰だって消耗すると思う。この例は些か極端だとは思うけれども、一番問題なのは、楽譜を通して相手の顔が見えてこない苛立ちにあると思う。先ほども書いたけれども原則的には演奏家は楽譜から作曲家なり編曲家なりの考えを楽譜から最大限読み取る、再現する努力をする。ところが自分のパートにはそういった情報を読み取る断片が何も無い、或いは書き込もうとする意思が見られない。フルスコアには書いてあるって言ったって、そりゃお前は指揮者だけがわかってて俺たちは上意下達でやれっていうのかよ、はいそうですか、じゃあこっちもてきとーにやっときますわ、と段々汚い言葉遣いになってきちゃうけれど、要は我々はどんな形であれ、そこで自分が演奏するという事に何らかの意味を持ちたい、持たせたいと思うわけで、どこの誰でもいいからこの場所でホルンのFの音、というような考えは生理的に受け付けないと思う。
 逆の立場から言えばそういうテキトーで投げやりなセッションに立ち会う作曲家、編曲家は演奏という事に非常に懐疑的な立場を取ってしまうわけで(もっとちゃんとやってくれるオケだっているはずだ、こいつら初見でいいかげんにやりやがって)、こうなってくるとお互いが力を出し合ってお互いに幻滅しているわけで消耗というより他無い。

 だから僕が声を大にして言いたいのは、もしもある曲を仕上げるのに100の力を使うのであれば、その中の20くらいはせめてパート譜を判りやすく書く努力を心掛けてもらいたい。パート譜を印刷したら、もしもセッションの中でこれを使うときに、自分だったら何が不便かを考えてもらいたい。判らなければオケの人に聞くなり、出版されているスタンダードの(スコアではなく)パート譜を見るなりしてもらいたい。

 蛇足になるけれど、一般的によくあるレイアウトの問題を列挙しておく。ここを読んでくださってる方の中に作曲、編曲の人がどれくらいいるのか、全然判りませんが。

1.楽譜の大きさ。最近はノーテーションソフトの普及もあってA4サイズに印刷する場合が多いようだが、オーケストラのスタンダードなレパートリーのパート譜のサイズはもっと大きい。これは譜面台との距離が離れているせいもあるし、弦では2人が同時に一つの楽譜を見る事にも関係する(もう一点、楽譜のサイズはコピー防止の意味合いもあるのだろうが)。書き込みをしやすいのも利点。プリンターの関係もあってサイズを大きくするのは難しいかもしれないが、段組、フォントの大きさは充分留意すべき。印刷時間のことを考えて見開き2枚、などと考えると災難の元。実際のパート譜を参照されたし。

2.原則的には1パート=1パート譜。例えばオーボエ1番、2番をまとめて書くようなことをしない。アンサンブルの問題等で如何しても他のパートを示したいときはガイド音符を使うなり、一時的に2パート記すべき。

3.練習番号。読んで字の如く、練習を行うときの効率化を目指すためのものなので、つける場所には充分な配慮が必要。曲のセクションは勿論、セクション間が長い場合には更に小分けするべき。「Hの24小節前」等と言われると皆が場所を確認するだけの時間が非常に無駄。

3.長休符。3.にも絡む問題だが、ノーテーションソフトを用いる場合に特に見られる問題で、纏まった長さの小節で音符がないと自動的に長休符に短縮される。その際、細かいテンポ記号、フェルマータなどは全て省略されてしまう。例えば8小節の休みがあって4小節目にリタルダンド、フェルマータがある場合、きちんと4小節ごとにわけてリズムの変化を記す事。これをやってないがために確認に時間を取られて練習時間を無駄にする事は多々ある。

4.ガイド音符。長い休みがある楽器の場合、若しくはアンサンブルが非常に込み入っている場合、楽器法が通常と著しく異なっていると見られる場合にはガイド音符を書いておく事を推奨。その際、標準のオーケストラ配置から考えてまずそのパートがどの楽器を聞き取りやすいのかに配慮する事。例、隣り合う楽器(trb & tuba, cl & bsn)

こうやって書くとなんだか当たり前のことを当たり前に書いていてなんだか馬鹿なんじゃないかという気がしてくるけれども、これが実際に多いんだ、出来てない楽譜が。