2004年11月11日

ここに来て漸く反省。

 というわけであっという間に8月。8月は毎年呼んでいただいている秋吉台の現代音楽のセミナー。今年は金管楽器のクラスを受け持つという事もあって、事前の準備がなかなか慌しかった。開催中は過密スケジュールという事もあったけれども、それだけが理由というわけではなく自分の演奏は今ひとつ納得できなかった。反省は9、10月分と纏めて行うのでここでは端折る。9月は一旦パリに戻ってきてケルンの現代音楽アンサンブルmusikFabrikのエキストラ。ケルンを本拠地として活動しているアンサンブルだけれども、メンバーはかなり多国籍。ここの金管楽器の人たちのレヴェルの高さ、モチベーションの高さには脱帽した。この演奏会の後再び日本に戻って某オケのオーディション。C管は個人所有のものを一旦日本に置いているので、学校の同モデルの楽器2本を使って練習し、日本で調整、という手順を踏む事に。大まかな練習の計画は予定通りこなしたのだが、本番はそりゃあもう悲惨な演奏で、猛省。

ここで6月からの自分の演奏を振り返ると、どうも練習自体は上手く機能していると判断するわりに本番での結果が芳しくないという状況に陥っている。というわけでここに来て漸くこの日誌本来の役目。

問題点。
練習して得られるであろう結果と本番での出来の乖離。

要因の予想。
1.本来練習中に予想している到達点が予定している時間の経過より遠くに位置している。よって練習によって得られた成果がそのまま本番に直結しているわけではない。
2.幾つかの問題解決に当たって優先順位を間違えている。
3.練習内容とその結果の判断基準が甘い。
4.バーカバーカ(やけくそ)。

楽器別。
C管に関して言えばこれは練習時間が(本来取るべき時間に比べて)圧倒的に少ない。基本的に解決していない幾つかのスキルに関しては、練習時間をより積極的に割り当てるとともに、より長期的な視点に立って推移を見守る必要がある。(1.の問題)
F 管は仕事でメインで使う楽器なので、ある程度の「慣れ」はある。しかしながらこの半年はマウスピースを変えたこともあってデリケートなコントロールに正確性を欠く傾向がある。結果として「できるはず」なのに「できない」部分が多々出来した。問題は「できるはず」であろうと判断して根本的な対策を怠った点にある。(3.の問題)
セルパンは現時点で演奏会で使うケースは現時点ではそれほど多くなく、寧ろ準備段階にある(基礎的なスキルを挙げておく)と位置づけるべきである。のにも拘らず、ある日思い立って無駄な猛練習をしたりする。(2.の問題)(4.の問題)


問い。
・それぞれの「練習」が出来る部分を出来ると確認し、出来ない部分を出来ないと確認するだけの「作業」になっていないか? 
・また、本番では「こうならなければならない」というある一定の水準があるのに対し、各楽器それぞれの問題を鑑みて練習段階である程度妥協した目標設定をしているのではないか?その水準と妥協した目標のずれが今になって感じられているのではないか?
・全くの基礎的練習を一端に置いて、曲、即興をその極に置いて考えた場合、その中間部分に推移するように位置する部分の練習が不足しているのではないか?(勿論、視野を拡大すればその極同士は輪のように繋がっているのだが。)
 
どうにも纏まらずにだらだらと考えている感もあるのだが、書いてるだけでは当然解決できないので当座の対応策。

楽器別。
C管。積極的に時間を取る事。基礎的なスキルの練習は全てここに収める。ただ、短期間で劇的、定期的なステップアップをする事はあまり考えない。「積み重ねる」こと。「慣れる」こと。それぞれの練習はストレス無く出来るようになるまで留まるよう心がける。

F 管。テクニカルな練習は内容、時間ともにブラッシュアップする事。C管に移せる練習は極力移す。曲、或いは仕事に繋がる練習に時間を割くこと。同時に幾つかの特殊なテクニックの習得は短い時間でも必ず配置(先行投資)。F管の練習自体の時間配分は今までより少なくする事。つまりは内容全てをより精査する事。

セルパン。ややC管と似た立場。但し時間はきちんと区切る事。より楽器に「慣れる」必要あり(フィンガリングと音程の問題)。C管と違うスタンスなのは「出来るようになるまである練習に留まる」ではなく「規定回数こなしてまた戻ってくる」点。