2004年11月18日

(役に立たない)豆知識。

ヴィズッティのエチュードが一週間で一回りするようにきちんと割り算して始めたのに、いざ一週間経ってみると各練習てんでばらばらな進行具合になっているのは何故なんだろうか?(挨拶)
 グロボカールのjuriritubaiokaを学校で録音する機会があったので、先週末はその準備が中心となった。3時間で取れるだけテイクを取って、今からそれを聴いていかなければならない。先ほどのエチュードと同じく、どっかで計算が合わなくなりそうな予感。
 チューバ、サクソルンのコンクール用小品のことをちょっと調べたくなって図書館で昔の年鑑を引っ張り出して読んでみたのだが、単なる年鑑なのに読み始めてみるとなかなか興味深く、関係ないところをつらつらと眺めてしまった。サクソルンのクラスは1856年に軍楽隊用の予備クラスとして開講され、その後 1870年まで記録が残っている(卒業試験の名簿を見ていたので、何年かのずれはあるかもしれない)。資料では一くくりに「サクソルン」とされているため、一連のサクソルン属全般のためのクラスだったのかどうかまではざっと見た資料では判らなかった。1858年から1868年までこのクラスを担当していたのが教則本で有名なアーバンであったので、主に高音域ののサクソルン(ビューグル)が主体のクラスであったと思われるが、ピストン付きコルネットのクラスは別に設けられていたため、バス、コントラバスの生徒もいたのではないかと邪推。ま、そんな事ないと思うけど。余談だが、この時期で興味深いのはピストン付きトロンボーン(サックス式システムとの注釈あり)のクラスが開講されていたり(1869-1873)、サクソルンの仕掛け人であるアドルフ・サックスがサクソフォンのクラスを担当していたりで、楽器の変革期にあって結構野心的な時代だったんだな、と感じさせる。その後、「王立」から「国立」へと体制の変わった1872年からはぱったりと音沙汰無く、1955年にバス・トロンボーン、テューバ、バス・サクソルンという「マイナー楽器混成師団」とも言うべきクラスが創設されるのを待つ事となるが、その辺りまで調べようとする根気も取り敢えず尽きたので、またの機会に。練習日記じゃないですね、はい。